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時間と空間の広がりによって示される”宇宙”は今もなお拡大し続けている。 想像をはるかに超えている。ただ、そこには何十億もの可能性がある。
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1人の肉体には60兆もの細胞によって形成されているが、その細胞はたえず新陳代謝して、およそ7年間で一切の細胞は入れ代わる。つまり7年前の自分は死んでいることになる。しかし、そうだとは思えない。そこには肉体が亡びても、永遠に亡びない”不滅の生命”があるのだ。死は”再生”に過ぎない。
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時間空間の広がりによって示される”宇宙”は今もなお拡大し続けている。想像をはるかに超えている。ただ、そこには何十億もの可能性がある。



人生は飛行機に似ていて、途中がどんなによくても着陸に失敗すれば、すべては無いに等しい。人間は常に、やがてやってくる着陸のことを考え、悔いのない真に人間らしい生き方をすべきだ。



昏迷(=意志発動が全く行われない状態)している。無色界(むしきかい=欲望も物質的条件も超越し、ただ精神作用にのみ住む世界)において、だた悲しいだけなのか? 

さぁ眠りから覚めろ!


花は、その種子から咲く。しかし種子だけでは花は咲かず、温度・土質・水分・肥料・日光・人間の最新の手入れなど、さまざまな条件が種子に働いて花は咲く。すべてのものは、必ずそれを生んだ因と縁とがあるということだ。現実は、因と縁と果とが複雑に関係しあい影響しあって、もちつもたれつの状態をつくっている。




音は万象が常時変転して龍宮まで届くように鳴り響く。
音を聞いて何かを想い,何かを視ては,それから出る音を知る。そして視覚によって音が感じられるのは,視る人と創造された対象物との間に共通した心理的な働きによる存在があって,それが通い合う場合に限られる。その関係性は来世と現世の間にも通じる。


光子は永遠に存在し続けることが出来るが、相対論的粒子(=物)は一時的にしかその存在を保つことは出来ない。質量があって確固としているように一見思える「物」が実は一時的にしか存在しえず、質量のない一見とりとめのない「光」は永遠に存在できる。完全な無(絶対無)というものは物理的に存在しない。


漠然と考えがちな闇の存在。しかし、闇に光が当たると、闇はたちまち消え失せる。闇がどこか別のところに移動したわけではない。つまり、闇は始めから存在しないのだ。闇は「光の欠如」ということであって、闇と呼ばれる「なにか」が存在するわけではない。
「苦しみ」もまた、虚なのか?
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42
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男性
誕生日:
1982/05/26
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ほんとはダラダラしたい!
趣味:
音楽
自己紹介:
自分が自分であるために(=自己保存の欲求)、本能的衝動の源よ、
さぁ浮かぶ上がれ!
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