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時間と空間の広がりによって示される”宇宙”は今もなお拡大し続けている。 想像をはるかに超えている。ただ、そこには何十億もの可能性がある。
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無常の真実に目覚めないもの、無我の事実をしらないで自己をつかまえているものの刹那を追い求めている生活も、無常や無我を身にしみて知りながら、それを知ることによってかえってよりどころを失って、よりどころとしての常住や自我を追い求めて苦悩している生活も、いずれも煩悩による苦に過ぎない。
それを克服して、いっさいの差別(しゃべつ)と対立の底に、いっさいが本来平等である事実を自覚することのできる境地がある。
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この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができない。

普通一般の人々が求めている生きがいや喜び、満足など、永続するものではない。
所詮、必ず滅びる幸福に過ぎぬ。
人が生きるということは苦である。
その苦の原因は人間の執着にこそある。

心の中には相反する動機・欲求・感情などが存在する。

そして、それらが迷いを生じさせる。


死んだらどうなるのか

ハッキリとしない。
だから恐い


spaced out : ぼうっとした、の意
at
at the sight [the sound, the thought, the touch] of ...
…を見て[聞いて, 考えて, 触れて]

アキラメルことは、進歩も発展も努力も失わせることなのか。

違う。
アキラメルの語源はアキラカニミル(=アキラカニ真理ヲミル)。
それは無気力ではなく、とても意欲的な向上努力主義なのだ。
それが、この歌の答えだ。
「自分は何のために生きているのか。こんなに苦しみに耐えながら、なぜ働かねばならぬのか」


人間は生きるために食べ、食べるために忙しそうに働いているが、1日生きたということは確実に1日死に近づいたということ。誰も否定できない。万人が逃れることのできない運命(=さだめ)なのだ。

この歌には希望がある。

眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識には対象として、
それぞれ色・声・香・味・触・法がある。

六識は境(きょう=外界の対象)を写し取る。

それは逆も言える。対象があるということは、自分が存在するということ。

沸き上がる力を感じずにはいられない。


(アレグロ:軽快に速く、の意)

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年齢:
42
性別:
男性
誕生日:
1982/05/26
職業:
ほんとはダラダラしたい!
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音楽
自己紹介:
自分が自分であるために(=自己保存の欲求)、本能的衝動の源よ、
さぁ浮かぶ上がれ!
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